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二葉亭四迷『浮雲』感想

【轟然と駆て来た車の音が、家の前でパッタリ止まる。ガラガラと格子戸が開く、ガヤガヤと人声がする。】

   これは、お政が家に帰って来る描写だが、非常に良い。当時の明治の経済的な発展ぶりが、こうした何気ない描写に示されている。と同時に、その経済発展が、節操の無いことも明らかに示されている。
   お政の人物像や会話の内容を見ても分かるが、当時の明治の発展や繁栄には、ちっとも思想や節操や品性がなかった。だから思想や節操や品性がないお政のような人間ばかりを生み出した。勃興期だから非常に勢いがある。しかし勃興期だから、勢いだけで、ただお政たちはその日その日を享楽的に楽しむのみである。先の見通しなんて立てていない。いまのアダ花的な享楽がいつまでも続くと思っている。上記の引用部分には、お政の勢いだけでなく、お政の無思慮や、いずれ破滅するであろう未来が暗示されている。
   お政が強気な言動を取る時、読者はそこから嫌悪を覚えるのではなく、むしろそこからお政の無思慮と未来の破滅を汲み取り、暗澹たる気持ちなり、同情を禁じ得なくなる。

【「それそれその親睦会が有るから一所に往こうッてネお浜さんが勧めきるんサ。私は新富座か二丁目ならともかくも、そんな珍木会とか親睦会とかいう者なんざア七里々けぱいだけれども、お勢……ウーイプー……お勢が往たいというもんだから仕様事なしのお交際で往て見たがネ、思ッたよりはサ。私はまた親睦会というから大方演じゅつ会のような種のもんかしらとおもったら、なアにやっぱり品の好い寄席だネ。此度文さんも往ッて御覧な、木戸は五十銭だヨ」】

   お政は唄についてもお勢と談義しているが、それらを見ると、お政にも芸術に対する情熱や誠実がないことが分かる。芸術を享楽的に解釈している。思慮的に芸術を考察するのではなく、「楽しいか、楽しくないか」で本能的に判断する。
   
   唄についてはお政のほうに一日の長があって、お勢は談義で言い負かされそうになる。お勢が言い負かされそうになったのは、唄の知識においてお政が勝っていたからであるから、お勢が取るべき対処は、すなおに負けを認めて、お政から色々と教えを受けたり、自分でも学んで知識を極めることである。それが芸術に対する情熱や誠実である。しかしお勢は下らない言い訳をして負けを認めない。お政から学ぶことをしない。しかもその言い訳が卑怯である。お政の愛好する唄には【「その通り品格がないから嫌い」「だッて人間は品格が第一ですワ」】などと言って、「品格」という唄とは無関係な突拍子もない言い訳をする。しかもこの「品格」という言い訳には、品格の名の下に相手をあべこべに言い負かしつつ相手の品格を毀損して、同時に自己の品格を高めようというかなり卑怯な言い訳である。お勢はただの「おちゃっぴい」ではない。心底から「腐っている」。
   四迷の現実認識は徹底している。お勢、そしてお政がここまで腐っているのは、資本主義による経済発展の不徹底、そしてそこから生じる社会の腐敗・堕落が原因である。
   また、せっかくの経済発展の恩恵から思想的な物をなんら真面目に生み出さず、経済発展の恩恵から享楽にのみ突っ走る日本人に対する強い批判意識が四迷にはある。そしてその四迷の捉えた堕落した日本人像は、現代の日本人においてもそのまま通じてしまう。日本社会は文三の誠実さを継承するのではなく、お勢・お政の不真面目を継承してしまった。そうして日本人は経済の発展によって真面目ではなく不真面目を発展させた。だから現代の日本社会の未熟、稚拙は、『浮雲』に描写されたそれを遥かに上回っている。



ーーーーーー



   文三のために、お勢は文三をかばって母と議論をした。学問にかぶれたお勢にしてみれば、お政が「免職に怒る」という行為は、物質主義で俗物に見えるのだろう。それで母に議論した。そしてお勢は文三に議論したと告げて得意げである。…要は「文三のため」ではなく「自己満足」である。不真面目なお勢は学問に表面的にかぶれており学問を真剣に追求する意識はないし、薄情なので文三を同情する気持ちも非常に薄い。お勢は「文三をかばった」のではなく「文三を自己満足の充足に利用した」のである。
   文三は自己の零落によって母に楽をさせてあげられなくなったことを真剣に嘆いている。お政もお政なりに文三を愛し、将来を思い、尽くして上げて、それが裏切られた(正確には裏切りではないが)ことを深刻に嘆いている。お勢は、そんな文三とお政の嘆きを全く理解できていないし同情もできていない。ただ自己満足のために議論を仕掛けることで、母と文三を自己満足の道具として利用し、母と文三を無意識にコケにしているのだ。


   文三の免職を知ったお政は文三を激しくなじる。文三も激しく反発する。二人の対立は、単なる感情的なもつれが主要因ではない。二人の対立の主要因は、その根本的な性格の違いである。文三は小さい時から文三の世界で自己の性格を形成した。お政も若い頃からお政の世界で自己の性格を確立した。そんな二人は一緒に住むようになっても、根本的な性格の違いはズレたままであった。二人の性格の違いを覆い隠し、見えなくすることで、二人の間の隔絶を取り持っていたものは、文三の官吏という立場であった。文三の成功によって約束される地位や収入であった。二人の間を取り持つ官吏という絆が、免職によって壊れた時、二人は二人の間に存在する甚だしい隔絶を初めて意識した。


   昇のように、普段から課長におべっかを使って免職を予防しておれば良かったのに、とお政は言う。それは無茶な話である。
   もしも文三がおべっかを実践しようとしても、昇のように課長の家で囲碁の相手をしたり、課長の妻にお世辞やプレゼントを振りまいたりなどは、できなかっただろう。そのようなことに文三は退屈や侮辱を感じるタイプの男である。文三と課長の性格の隔絶は甚だしいから、文三は課長におべっかは使えない。課長のほうでも文三におべっかを使われたとしても、ストレスを感じるばかりで、嬉しくもなんともなかっただろう。文三がおべっかを使うことが、かえって免職の材料になっていたかもしれない。

【そのお政の半面を文三は畏らしい顔をして佶と睨付け、何事をか言わんとしたが……気を取直して莞爾微笑した積でも顔へ顕われたところは苦笑い、震声とも附かず笑声とも附かぬ声で、
「ヘヘヘヘ面目は御座んせんが、しかし……出……出来た事なら……仕様が有りません」】

   向きになって正論を並べ立ててもお政には分からない。文三の正義感や優しい心ゆえの免職を、正義感や優しい心の欠如したお政には分からない。しかしお政にはお政の考え方や生き方があるので、お政が文三の考え方・生き方を理解できないからといってお政の考え方・生き方を否定することはできない。俗物だの薄情者だのと言って、自分と考えの合わない人を攻撃するのは大いなる間違いである。そういうのは幼稚園児レベルの稚拙な振る舞いである。四迷は天才なので勿論そういうことは知っていて、お政の批判ではなく、お政とは違った文三の生き方や精神を新しく創造しようと試みている。お政に罵倒され否定されることで四迷は文三をお政から分離させ、その分離していく過程の中から生まれ出る文三の感情の中から、文三の精神を創造しようとしている。だから四迷は、文三にお政を批判させない。ふざけたような声音で「ヘヘヘヘ面目は御座んせんが、しかし……出……出来た事なら……仕様が有りません」と文三に言わせて、文三が自分を馬鹿にしているとお政を勘違いさせ、怒りの炎に油を注ぐことでお政に文三を怒らせて、文三をヘコませて、文三を悔しがらせて、文三をお政から分離させて、その分離の過程から新しい文三の精神・生き方を作ろうとしている。
   「男なら言い返せ」「情けない」「意気地なし」「そんなんだから免職になるんだ」…等々の批判を多くの読者が明治以来から文三に抱いて来たに違いないが、そういう批判は文三を理解していない時に起こる批判意識である。文三を真に理解している人間には、文三が怒られたほうが、長い目で見れば文三のためになる、ということが分かるだろう。
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