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二葉亭四迷『浮雲』感想

   「アラ月が……まるで竹の中から出るようですよ」というセリフに象徴される文三とお盛の両者のすれ違い。これは単なる性格の違いにとどまらず、明治社会における階級的な分化の形成を意味している。四迷は文三、お盛、昇、という三者三様の性格を描きつつ階級的分化を描写する。精神は物質的な豊かさによって始めて発展する。階級も物質的な豊かさによって発展し分化していく。資本主義の初めての本格的な勃興によって、明治社会には物質的な豊かさが初めて本格的に供給される。そして徐々に精神の発展や階級の発展・分化が始まっていく。その始まる瞬間を四迷は「若者の青春」という形態に依って描写している。

   階級の分化、すなわち文三とお盛のすれ違いを、四迷はユーモアをふんだんに用いて軽く描写する。

【「だから貴嬢には私が解らないというのです。貴嬢は私を親に孝行だと仰しゃるけれども、孝行じゃア有りません。私には……親より……大切な者があります……」
 ト吃ながら言ッて文三は差俯向いてしまう。お勢は不思議そうに文三の容子を眺めながら
「親より大切な者……親より……大切な……者……親より大切な者は私にも有りますワ」
 文三はうな垂れた頸を振揚げて
「エ、貴嬢にも有りますと」
「ハア有りますワ」
「誰……誰れが」
「人じゃアないの、アノ真理」
「真理」
 ト文三は慄然と胴震をして唇を喰いしめたまま暫らく無言、稍あッて俄に喟然として歎息して、
「アア、貴嬢は清浄なものだ潔白なものだ……親より大切なものは真理……アア潔白なものだ……」】

   漱石は階級的分化を得る為に、個別的道徳を持ち出したり、個別的苦悩を持ち出したりして、また顕微鏡のような微細で神経質な観察眼で現象をうんざりするほど考察して、ああでもない、こうでもないと苦悩して、そのうえで自然な社会的法則を無視して無理矢理人間関係を断ち切って、強引に締めくくった。それが『虞美人草』であった。
   四迷の場合、私的な個別的道徳や個別的感情は持っていない。四迷が関心があるのは社会的法則だけであるから、シンプルに社会的法則のみを認識し、そのため階級的分化に私的な道徳や感情を介在させずにシンプルにビビッドに描くことができた。しかも文三の苦悩を否定して、ユーモアで苦悩を吹き飛ばし、階級的分化の有り様を、読者に見えやすいようにする工夫まで施している。
   社会的認識が高度になると作家は四迷のように個人の個別的苦悩をユーモアで笑い飛ばし、苦悩の背後にある社会的法則を表現しようとする。チェーホフもそうだった。
   おちゃっぴいで浮薄なお盛が「真理」を理解している訳はないし「真理」への真剣な関心も情熱もないだろう。お盛は例によって「真理」を享楽の道具にしているのである。または自己を装飾する道具に使っているのである。そんな訳だからお盛が「真理」と言うと、笑わずにはいられない。そしてこのような重要な場面(文三とお盛の恋が実るか実らないか、という局面)で「真理」を語るのだから余計に笑いを誘う。しかもこの「真理」という言葉を言うことで、文三の切実な恋心や苦悩をユーモアで吹き飛ばす効果を産みつつ、二人のすれ違いを大きくし、階級的分化を促進するという効果まで持っている。四迷ほどの作家になるとこのようにユーモアでの表現が可能になる。ユーモアはあらゆる表現形態の中でも高度な表現に分類できる。ただしユーモアには社会的法則を明らかにするという意図においてのみ高度であり、十分な効果を発揮するのであって、たとえば〈つかこうへい〉のような「ハゲ」「デブ」「ブス」という類の個別的ユーモアは何ら芸術的な意味を持たない。


【実に課長は失敬な奴だ、課長も課長だが残された奴等もまた卑屈極まる。僅かの月給の為めに腰を折ッて、奴隷同様な真似をするなんぞッて実に卑屈極まる……しかし……待よ……しかし今まで免官に成ッて程なく復職した者がないでも無いから、ヒョッとして明日にも召喚状が……イヤ……来ない、召喚状なんぞが来て耐るものか、よし来たからと言ッて今度は此方から辞してしまう、誰が何と言おうト関わない、断然辞してしまう。しかしそれも短気かナ、やっぱり召喚状が来たら復職するかナ……馬鹿奴、それだから我は馬鹿だ、そんな架空な事を宛にして心配するとは何んだ馬鹿奴。それよりかまず差当りエート何んだッけ……そうそう免職の事を叔母に咄して……さぞ厭な顔をするこッたろうナ……しかし咄さずにも置かれないから思切ッて今夜にも叔母に咄して……ダガお勢のいる前では……チョッいる前でも関わん、叔母に咄して……ダガ若し彼娘のいる前で口汚たなくでも言われたら……チョッ関わん、お勢に咄して、イヤ……お勢じゃない叔母に咄して……さぞ……厭な顔……厭な顔を咄して……口……口汚なく咄……して……アア頭が乱れた……」】

   明治の本格的に勃興する資本主義が、国民の間に様々な感情や精神を本格的に形成する。上記は、文三の正義感、つまり、日本で初めて本格的な真の正義感が生まれつつあるという、歴史的な、記念碑的な、およそ正義の道に生きようとする者にとっては誠に意義深く感慨深い、瞠目すべき瞬間である。これを読んで何らかの感慨を抱けない人間は、真の正義感を持たぬ人間である。この文三の苦悩に正義感を見出す時、初めて人は自己内に真の正義感を形成することができる。『孤客』のアルセストの成熟され徹底され完成された、一片の迷いのない完璧な正義感に比べるとまだまだではあるが、強権への隷属という日本的な弱点を振り払いつつ、文三は自己の内部に嘘偽りのない確かな正義感を形成しようとしつつある。

   この文三の正義感は現代ではもう失われてしまった。この文三のシンプルだが力強い正義感を共有できる人間はいなくなった。お盛の浮薄な精神が排外主義と混ざり合って国民精神の大部分を腐らせ猖獗を極め、正義感は壊滅状態である。
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