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『消せない記憶 湯浅軍医生体解剖の記憶』1




『消せない記憶 湯浅軍医生体解剖の記憶』を読んでいます。
湯浅謙(以下湯浅さん)という元日本陸軍軍医が語った生体解剖の体験を、作家の吉開那津子さんが聞き取って書き表した本です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/湯浅謙
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100759_00000
まず初めに湯浅さんは自身の生い立ちをかなり長々と語られています。小学生の頃に住んでいた家の間取りや、祖母が家主から天理教をしつこく勧められたけど断って喧嘩になったとか、ガキ大将にいじめられた思い出など、自身の覚えている事は細大もらさず書いているように見えます。「なぜこここまで細かく書くのか?」と疑問に思いました。恐らく湯浅さんは「己のような戦犯は一体どのような家庭環境・社会環境で育ってしまうのか?」という事をつまびらかに読者に(特に青少年に向けて)提示する事によって、自分の生い立ちから戦犯にならない為の道を学んで、幸福な人生を歩み、二度と戦争のない健全な社会を作って欲しいという熱意から生い立ちを語っているのではないか、と思います。自身の戦争犯罪行為を心から反省した人間にしか出来ない誠実な作業だと思います。

湯浅さんは関東大震災を体験しており、その際の人々の混乱した模様も克明に語っています。なかでも皇居で体験した話と「朝鮮人暴動」のデマを聴いた話は大変貴重だと思います。

(17ページ)
《夕刻も近づき、泊まるところもないので、近所のひとたちと、天子様の宮城へいったら、宮城は広いから天子様が助けてくれるだろうと語り合って、歩いて出かけていった。二、三十分歩いて、宮城前までいったが、顎ひもをかけたいかめしい格好の皇宮警官が守っていて皇居に近寄ることも出来なかった。》

(19ページ)




24ページの沖縄の教師の話などは自分にとってはかなり興味深かったです。ナショナリズムを煽って中国征服を焚き付ける様子はまさに「沖縄県民の戦争加害行為」です。




《当時貧しい家庭の子弟が世に出ようと思う場合には、学費のいらない師範学校にはいって教師になるか、士官学校にはいって軍人になるかの道しかなかった。》
生きる道が二者択一しかないこの状況下では国は容易に国民の人生の途上に国粋主義を張り巡らせて子供達を愛国者に仕立て上げる事が出来たのでしょう。また子供達のほうでも職業の選択肢が少なく競争が激しいだけに必死になって国の推奨する国粋主義思想に迎合したはずです。当時の子供達は国によって未来を人質に取られていたのです。輝かしい未来を手に入れるには国の求める使い勝手の良い人材にならざるを得なかったのです。もちろん子供達の側(国民の側)も国に言われるまでもなく元から国粋主義思想を多分に持っており、それが国の未来を人質に取った施策によって余計に駆り立てられたという部分もあったでしょう。国と国民が共犯関係となって国民精神全体の国粋主義思想を盛大に燃え上がらせたと言えなくはないでしょうか。
チャンスを容易に与えられない貧しい人間や差別される人間であればあるほどチャンスを求めて国粋主義思想を積極的に取り込んで行ったに違いありません。貧しく差別されていた沖縄県民の教師が侵略の尖兵として積極的に活動していたのは確かに無惨ではあるがある意味では自然な現象であるとも言えます。ですが彼らの成功やその活動によって多くの社会的弱者が犠牲になったという事実を忘れてはいけません。関東大震災の朝鮮人虐殺も、沖縄県民の教師のように国粋主義思想を国民に鼓吹する人間がいたからこそ起こったのです。朝鮮人を直接に虐殺した人間だけが悪者なのではありません。国粋主義思想にかぶれた国民や、国粋主義思想を鼓吹する国民や、国粋主義思想に懐疑的でありながらも国粋主義思想を否定・根絶できなかった国民など、全ての国民が国粋主義思想を発展させた結果として朝鮮人が虐殺されてしまったのです。加害者は全国民なのです。そしてまた関東大震災の朝鮮人虐殺だけではなく当時のアイヌや在日朝鮮人・在日中国人が窮迫していたのも全国民の加害による結果なのです。当時は日本人という社会的強者が生きるという事はただそれだけで社会的強者の権利や命を脅かす深刻な加害に繋がりました。そしてただ生きるだけでなく「一角の者になろう」と努力すればより多くの社会的弱者を踏み台(犠牲)にしなければならなかったのです。
そのような事を湯浅さんはよく把握しており、そうならない社会を作る為にはどうすればいいかと思考する事を読者に促しています。私達は湯浅さんが語ってくれたこの生い立ちから多くを学び、考え、二度と湯浅さんたちと同じ失敗を繰り返してはいけません。この本はそういう強い覚悟を形成する為に読まれなければいけないと感じます。ただただ「戦争は悲惨だなぁ」などという軽い教訓に落とし込んではいけません。教訓はいつかは忘れてしまう一時的な物でしかありません。頭の片隅に教訓としてのみ書き付けていずれは忘れ去ってしまう、というのではなく、心臓に深く刻み込み自己の血肉にしなければ意味がありません。

沖縄出身の教師はまたこのような事も言っています。
《わたしには、謙ちゃんはよく勉強して、お父さんのように立派な医者になり、他の医者を負かすんだ、といって盛んに向学心をあおった。》
「負かす」と教師は言いますが、なぜ負かす必要があるのでしょうか? 負かすのではなく、仲間同士仲良くして、協力し合ったり、切磋琢磨したほうが、絶対にお互いの為になるはずでしょう。そうしたほうが日本の医学界全体を引き上げる事に繋がるはずです。ですがどうしても日本には仲間の中にライバルを想定し出世をして負かしてしまえ、という考え方が根強いように思います。21世紀の現在でも「偉くなってライバルを負かせろ」という考え方があって、なかなか「ライバルと仲良く切磋琢磨しよう」という考え方は広まらない傾向があるように感じます。日本人は「権力を握って権力の高みから他人を見下してやりたい」あるいは「他人を出し抜いて他人のプライドをズタズタに引き裂いてやりたい」などといった陰湿で残忍な嗜虐性や冷酷な権力指向を強く持っています。沖縄出身の教師がわざわざライバルを負かせと言うまでもなく、日本人は元からライバルを負かせよう、ライバルを出し抜こう、ライバルをけちょんけちょんにしてやろうという邪悪な心を持っています。戦争という特異状況がそのような心を醸成した、という訳ではなく、元々持っていた他人を蹴落とそうという邪悪な心が戦争という特異状況をきっかけにして一挙に表に噴出した、と言ったほうが正しいと自分は考えています。
なぜ日本人がこのような考え方を持っているのか。また持ちたがろうとするのか。その原因は分からないのですが、ともかくこの他人を蹴落とそうという思想は日本人の強い選民意識と密接な関係があるように思えてなりません。「日本人は特別な民族である。そしてまた己も特別な人間である」…日本人は常に自分が特別でいなければ満足できないようです。そして「自分は特別」というワガママな幻想を満たす為なら平気で他人を傷付けてしまうのです。

ちなみにこの日本人の邪悪な性格は森鴎外と夏目漱石が一連の作品の中で詳細に描いています。鴎外はこのような性格を無批判的に肯定的に描き、漱石は批判的に否定的に描いています。鴎外と漱石の作品を読むと日本人のこのような邪悪な性格がどれほど深刻で、どれほど腐っていて、どれほど度し難いかという事が分かり思わず途方に暮れてしまうほどです。

(続く)
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