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『沖縄・八十四日の戦い』(榊原昭二)

   『沖縄・八十四日の戦い』(榊原昭二。新潮社)を読んだ。
   37~38ページに読谷村嘉手納駅前貨物集積所で勤務した男性の証言の中に《雑役の朝鮮人軍夫が五十人から百人いた。》という記述があった。1944年10月10日の大空襲(10・10空襲)で《駅倉庫や野積みテントに焼夷弾攻撃や機銃掃射を受けて大損害をこうむった。》などの証言があるが、朝鮮人軍夫の安否については全く語られていない。
   日本兵にとって沖縄県民がどうでもいい存在だったように、沖縄県民にとっても朝鮮人軍夫はどうでもいい存在だったのではないか? 朝鮮人に対する無意識の差別意識があるから、朝鮮人の命の安否よりも、物資の損害のほうを気に掛けてしまうのではないか? 沖縄戦の本を読むとこういう証言をよく見かけるが、そのたびに朝鮮の人々に申し訳ない思いがするし、沖縄県民の人権意識の底の浅さに恥ずかしい思いがする。なにが「命どぅ宝」だろうかと思う。「沖縄県民の命どぅ宝。朝鮮人の命や二の次やしが」ということだろうか。

   その他に朝鮮人軍夫に関する記述があったのは下記の2点。

   223ページ
   《☆韓国人慰霊塔   摩文仁丘の壮大な平和祈念堂を背にした「韓国人慰霊塔」。「一九四一年太平洋戦争が勃発するや多くの韓国青年たちは日本の強制的徴募により大陸や南洋の各戦線に配置された。この沖縄の地にも徴兵、徴用として動員された一万余人があらゆる艱難を強いられたあげく、あるいは戦死、あるいは虐殺されるなど惜しくも犠牲になった。祖国に帰り得ざるこれら冤魂は涙高きこの地の虚空をさまよいながら雨になって降り風となって吹くであろう……」。抑制のきいた文章が心をうつ。》

   223~224ページ
   《三年前から二年間にわたって慰霊塔の碑文の表現に疑問(※1)を持って調査点検をした靖国神社国営化反対沖縄キリスト者連絡会の○○○会長は約百二十カ所の調査報告書をまとめた。一九四○年代から五○年代にかけてはほとんどが沖縄現地の人が建設、まず碑文はない。あっても淡々として事実経過だけだ。ところが高度成長下の六○年代になると沖縄以外の各県がきそって、豪華な塔を建てはじめたが戦争を肯定し、美化する碑文がふえた。「戦死をむなしいものとみていない。戦争責任者に対する怒りがない。沖縄住民の犠牲に対する痛みがない。差別に苦しめられた沖縄住民も韓国人に対する差別はなかったか。そこまで踏み込んだ戦争罪責論は見られない」と○○○さんは強調していた。》

(※1   ○○○さんが疑問を抱いている慰霊塔の碑文というのは先に上げた韓国人慰霊塔の碑文のことではなく、本土の日本人が60年代以降にこぞって建設した慰霊塔の碑文のことである。)


   以上。『沖縄・八十四日の戦い』には朝鮮人軍夫の記述は上記の3カ所(37~38ページ)(223ページ)(223~224ページ)にしか存在しなかった。
   著者の榊原氏は愛知県生まれのナイチャーだが、沖縄県民に対する同情が深く、日本兵の沖縄県民に対する蛮行を包み隠さず描いており、その点は評価できるものの、朝鮮人軍夫や慰安婦に対する視点が決定的に不足していると感じる。この本が出版された当時(昭和58年)は朝鮮人軍夫や慰安婦に関する資料や研究が不足していたという仕方ない事情も一因にあると思う。福地曠昭氏の『哀号・朝鮮人の沖縄戦』が出版されたのは昭和61年。海野福寿氏の『恨 - 朝鮮人軍夫の沖縄戦』が出版されたのは昭和62年。だから昭和58年時点の榊原氏が朝鮮人軍夫や慰安婦に目が届かなかったのはある意味では自然と言えるが、しかしそれにしても戦争責任に対する強い意識や使命感さえあれば資料や研究の不足という当時の環境の欠点を飛び越えて朝鮮人軍夫・慰安婦の研究をすることもできたはずであろう。しかしこれは榊原氏の欠点というよりも戦争責任を総括しようという責任感の欠如した国民精神全体の欠点であると思う。
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