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漱石『こころ』、雑多な感想

私と兄は田舎に嫌気が差している。早く帰りたがっている。二人は自然と父の死を待つような態度を取ってしまう。若くて仕事にも意欲のある兄が田舎から離れたがるのは当然であるし、又能力のある私が田舎から離れたがるのも当然である。当然なのだが、なかなか理解されにくい。『まんがで読破 こころ』(イースト・プレス)という漫画では、私と兄の態度はエゴイストとして批判的に描写されている。私どころか兄の精神すら理解されていない有様である。私の描写はもうめちゃくちゃで、能力のある青年としてではなく、元気だけど能力のない青年として描かれている。漫画の中で卒業した私は寝転びながら「ヒマだ。…働きたくねぇなぁ。これから何をして生きて行こう?」と言っている。〈働かないことはエゴイズムである。私は働こうとしないからエゴイストだ。明確な目的を持たないから怠け者だ〉と規定しているためにこういう描写になってしまう。実際は私が働こうとせず明確な目的を持たないのはエゴイズムでも怠惰でもなく、私が高い能力を持っていることの証である。高い能力を持っているからちょっとやそっとでは思想の方向を見つけられず身動きが取れないのである。経験的な意識を持つ者の目には私の言動は不可解に見えるので、エゴイズムや怠惰といった凡庸な規定に落とし込んでしまう。

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「私」の父は死ぬ前に旨い物が食べたいと言うが、田舎だから旨い物はどこにもない。仕方ないので「かき餅」を焼いてボリボリ喰っている。これには笑ってしまった。
母は「どうしてこう渇く(なんでも食べたがること)のかね。やっぱり心(しん)に丈夫のところがあるのかも知れないよ」とノンキなことを言う。
父も母もノンキである。深刻な感情が湧かない。これが田舎の薄情さである。この薄情を力量のない人は都会にはない高度の人情として規定し癒しや郷愁を感じる。

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漱石は田舎全体を批判するのではなく、田舎全体から分離した批判的認識を描いている。漱石が父と母の何気ない様子を書くとき、必ずその父と母の様子と漱石の精神は、大きく分離し隔たっている。だから漱石は父と母の言動の何を書いても、無意識に分離的な描写になる。かき餅をボリボリ囓る父と漱石の精神も無論大きく隔たっている。漱石の精神に近い精神を持っていると、父の精神を上から見下ろす事ができるようになる。だから父が何をやっても笑ってしまえるようになる。父が死ぬ前に一生懸命かき餅を食べている様子は爆笑物である。漱石の精神ではなく、父に近い精神を持っている場合、死ぬ前に一生懸命かき餅を食べている様子に同情してしまう。悲しみを感じてしまう。で、要は漱石に近い精神を持たないと『こころ』は解読できない。「こころ」(=精神)のレベルの高さで読まないといけない書物であり、レベルの高さによって無限に高度の読みができる。しかし漱石の精神をも超えた精神を持つようになると、父がかき餅をボリボリ囓るような下らない描写はそれほど笑えなくなってくるだろう。
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テーマ : 夏目漱石
ジャンル : 小説・文学

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