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大江健三郎『不意の唖』

大江健三郎の『不意の唖』を読んだ。
(恐らく)敗戦直後、僻地の村に、一台のジープがやって来る。ジープには進駐軍のアメリカ兵と通訳の日本人が乗っていた。この日本人通訳が横柄な人物で、村人たちをとことん困らせてしまう。
作者の大江は直接には描いていないが、この通訳は恐らく元日本兵という設定なのではないかと思う。注目すべきなのは大江がこの元日本兵と思わしき通訳の横柄を単純に通訳個人の横柄として描くのではなく日本の国民精神全体の横柄として規定している所だと思う。
通訳の男は戦時中は天皇に忠誠を誓っていたはずである。しかし戦争が終わってまだ幾らも経っていないのに、あっさりと天皇への忠誠を捨て去り、敵だったアメリカ軍の味方に付いているのである。つまり戦時中の天皇への忠誠は真っ赤な嘘であるか、極めて浅い物=偽物だったのである。そんな浮薄な通訳は、浮薄であるがゆえに、目先の利益を求めて、すぐに手のひらを返してアメリカ軍側に付いたのであった。浮薄な通訳には強い信念が持てない。自己の利益や、自己の地位、そして、自己が思う存分に威張ったり、自己の暴力性を満たせる場所がありさえすればそれでいいのである。そういう利益・欲望が約束できる場所ならば「天皇」の元でも「アメリカ軍」の元でも、どこでもいいのである。
信念を持たず、ただひたすら己のゆがんだ利益と欲望を追い求める。それが日本人の本質であると大江は言いたいのではないか。単純に日本軍の批判にとどまるのではなく、日本人という民族そのものの腐敗した国民精神を大江は鋭くえぐっているのではないかと思う。


物語は靴を何者かに(恐らく村人に)盗まれて台無しにされて腹を立てた通訳が、えんえんと執拗に陰湿に犯人さがしに狂奔する姿が綿密に描かれる。

《「おれの盗まれた品物が返るまで、おれたちはこの村を出ないぞ。おれが兵隊たちに、この村には反抗的な人間がいるというだけで、兵隊はこの村にとどまってとりしらべを始めるだろう。兵隊が腰をすえたら、お前らが今、山へやっている女房や娘もただではすまなくなるぞ」》

なくなったのはただの一足の靴である。しかもその靴が台無しにされたのは彼の横柄な態度による自業自得なのである。しかし彼はその事に気付くことなく、反省する事もなく、ひたすら自己の傷付けられた自尊心の穴埋めをしようと犯人さがしに躍起になるのである。
この陰湿さ、執拗さ、せこさ、残忍さは、日本軍がアジアの国々で行った数々の蛮行を彷彿とさせる。戦時中の狂気が、ほぼそのままの形で戦後によみがえったのである。つまり狂気なのは日本軍という組織なのではなく、日本人そのものが狂気なのである。日本人の狂気は戦時も戦後も、いついかなる時も潜在しており、それが何かのきっかけで噴き出してしまうのだ。そのきっかけの一つがかつての戦争だった。戦争が狂気を生み出すのではない。日本人そのものが狂気であり、戦争は日本人の狂気を呼び起こす一つのきっかけに過ぎなかったのである。きっかけさえあれば日本人はいつでも戦時中と同じような狂気を再現する。特に、圧倒的な権力を有しているか、もしくは圧倒的な権力の庇護にある場合に、自己の暴力性を満たそうと日本人は容赦なく弱者を虐げる。「自己が強者になる」というきっかけさえあれば日本人は暴虐をほしいままにする。そのような腐敗した狂気的な国民精神の本質を大江はこの短い物語の中に巧みに表現している。
ただ一つ残念なのは大江はこの通訳の横暴に対して通訳を殺害するという暴力的解決を図ってしまった点である。これは短絡的で、大江はもっと通訳の精神性(=国民精神)を掘り下げるべきだったと思う。しかしこの短絡さを大江は意識している。この短編は『同時代ゲーム』などの長編を書く為の準備運動なのだろう。大江はこの短編を出発点にしてさらに日本の国民精神の闇を暴こうとしているのだと思う。


「終戦」(=敗戦)という事実を持ってして、戦争は終わったのだと恥じも無くいい放ち、自らの戦争責任や自己の闇に向き合わない国民が多い中、大江は同胞を殺害するという行為によって国民精神全体の闇を暴き、深い反省を得ようとした。大江の誠実さは誰もが見習うべきだと思う。そしてこのような作品こそ映画化やドラマ化されてしかるべきだと思うのだが、日本では戦争被害を自己弁護的に甘ったるく描いた作品ばかりが映像化されている。こういう現象もまた腐敗した狂気的な国民精神の一端なのだろう。

(『同時代ゲーム』は日本軍と村の全面戦争を描いた作品。『不意の唖』は『同時代ゲーム』の原型ではないかと思う)
(『同時代ゲーム』で日本軍との対決を描いている事からも、『不意の唖』の通訳が元日本兵という読みは外れてはいないのではないかと思う)
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