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『陰気な男』

   『陰気な男』


   頭もそこそこ良いし、顔もそこそこ良いし、背もそこそこ高いから、性格さえ善良であれば彼女もできただろうし、もしかすると結婚もできて、今ごろは幸福な家庭を築いていたかもしれなかった。しかし惜しいことに彼は陰気だった。その陰気が彼の身体的美点の全てを無残に打ち消した。そして真っ当に生きていれば人生で得られるべきはずの幸福の味を咀嚼する機会を完全に失った。
   彼が咀嚼するものは、他人に勝った時の、ほんのささやかな勝利の喜びと、他人に負けた時の、限りなく大きな敗北の苦い味だけであった。
   「……負けた。……ちくしょう。…………ぶっちくしょう!」
   彼の身内は今日も敗北の味で一杯に塗り潰されていた。
   彼は自分が世界一偉いと思っていた。だからその確証を得る為に、バイト先の同僚の誰それを自分と比べた。
   たとえば、同僚の島袋と自分を心の中でこっそり比較して、
   (……俺はあいつより背が高い。やった、勝った!)
   と快哉を叫ぶ。
   今度は同僚の具志堅と自分比較する。
   (……俺はこいつより靴のサイズが小さい。……負けた。……ちくしょう。…………ぶっちくしょう!)
   と、とてつもない敗北感に打ちのめされる。
   またある時は、出勤する時にいつもバスで乗り合わせる、自分と同年代らしい三十歳ほどの青年と自分を比べてみた。
   (俺はイオンの弁当工場で働いている。本土の一流スーパーだ。しかしどうだ? 話し掛けて聞いてみると、こいつは、カネヒデという沖縄の小さなローカルスーパーの弁当工場で働いているというではないか。やった、勝った!)
   彼はこのいかにも大人しそうな青年をじろじろ観察した。
   彼よりも背が低い。彼よりもブサイクだ。彼は毛髪がサラサラしている(これは彼のとびっきりの自慢だった)が、青年は毛髪が硬くてゴワゴワしていて、まるでタワシを頭に乗っけているみたいだ。彼はシャツに病的なまでにキレイにアイロンを当てているが、青年は身なりを整えることに無頓着らしく、シャツはシワだらけだし襟と袖がヨレヨレで黄ばんでいるうえに、ズボンも靴も汚れていた。
   彼は顔一杯に喜悦の笑いを浮かべながら無言で青年をじっと凝視した。青年はちょっと迷惑そうに顔をしかめた。
   (勝った)彼は思った。(こいつはビビっている。度胸の点で、俺は勝った!)
   バスを降りると青年は心なしか足早に去っていく。
   (勝った! 完全に勝った! やつは完全にビビっていた! 勝った! 勝った! 勝った! やった!)
   陰気な喜びが彼の身内を一杯に浸した。彼は満足しながらバイト先の弁当工場に向かった。しかし、敷居を一歩またぐや、たちまち暗い表情に早変わりした。
   最近、彼は工場の中で苦境に立たされていた。
   何があったかというと、何ということもない。ただ、あまり優秀でない人が次々に辞めていって、替わりに優秀な人が続々と入ってきたということであった。彼ら、彼女らは、そつなく、頭がよく、仕事の量も質も完璧で、おまけに若くハツラツとしていて性格も良かった。つまり職場には優秀で性格の良い人間しかいなくなったのである。それは普通の人間にとっては大変めでたいことであった。働くうえで一番の問題は人間関係である。その人間関係がこのうえなく順調であるということは、働く者にとって、最大の幸福であるべきはずであった。しかし、彼にとってそれは、地獄の苦しみ以外の何物でもないのであった。なぜなら、他人をマウンティングできないから! ーーそれは彼には死活問題だった。人生の終わりを意味していた。
   彼は毎日歯噛みした。彼は毎日優秀な同僚たちと自分とを比較して、無残な敗北感に打ちひしがれるのであった。
   だが苦境はそれだけではなかった。彼が心の中でこっそり他人をマウンティングしているという事実がパッと職場中に広がってしまったのである。
   あまりの悔しさ、あまりの惨めったらしさのあまり、彼は休憩室の隅っこに立って、一人ブツブツと、「俺はあいつと比べて性格が暗い。……負けた。……ちくしょう。…………ぶっちくしょう! しかし、俺はあいつに比べて歯が白い! それに髪がサラサラだし、あいつよりも発声がキレイだ! だから、そういう見てくれの点に関しては、俺はあいつよりも遥かに優っているのだ! わかったか! あんまり調子に乗るんじゃないぞ! ぶっちくしょい!」とやらかしてしまった。
   気配がして振り向くと、同僚達が立っていて、心底驚いた顔をしながら、恐る恐る彼を遠巻きに観察していた。彼は恥ずかしさと怒りのあまりドシンドシンと床を踏みしめながら部屋を出ていった。
   それからというもの、同僚たちは彼を気味悪がる素振りを見せたり、軽蔑したような視線を投げかけるのであった。自尊心の塊のような彼にとって、それらは身を切るよう辛い仕打ちであった。彼は思い切って工場を辞めてしまった。
   ハローワークに行こうと思ってバスに揺られていると、後ろの席に例の大人しい青年が座っているのに気付いた。彼は思った。青年の職場で働ければ当分食うのに困らないし、青年をマウンティングすることもできて一石二鳥だ。彼は喜悦の笑みを浮かべながら青年に話し掛けた。ちょうど青年の働く工場は働き手を募集していたので、彼は首尾良く働くことができたのであったが、しかしここでも苦境が待ち受けていた。
   「君、なんでそんなにチビなんだい? なんでそんなに唇が不格好に分厚いんだい? なんでそんなに目が小さくて、腫れぼったい瞼をしているんだい? 俺を見てごらんよ。俺はねぇ、ずいぶんいい男だよ。いまでいうイケメンというやつだねぇ。それに俺は手が大きいし、指が長くてキレイでしょ? 親戚の伯母さんたちから『手のモデルをやれば?』っていわれていたんだよねぇ。それから俺はねぇ、親孝行なんだよねぇ。母さんがねぇ、風邪で寝込んだりしたらねぇ、ほら、寝ていなさいよ、といって上げたりねぇ、冷凍庫アイスノンの枕を持ってきて頭の下に敷いて上げたりするんだよねぇ? …おい、聴いてるかい? えぇ、おい?」
   青年はねちっこい彼のマウンティングと自慢話を聴いて、心底呆れ果ててしかめっ面をしたのだが、彼はそれを敗北の渋面だと受け取って、(勝った! 勝った! 勝った! やった!)と心の中で快哉を叫ぶのであった。
   青年のおかげで彼は毎日が幸せだった。しかし青年は日に日に疲弊していった。そしてさすがの青年にも限界がきて、ある日、彼にこういいはなったのであった。
   「おまえ、精神障害者相手にマウント取って恥ずかしくないのか」
   「は?」
   「俺はなぁ、第一級の精神障害者なんだよ。社会復帰の為にこの工場で働いているんだよ」
   「うそ…」
   「おまえは精神障害者相手にずっとマウントを取っていたんだよ。恥ずかしくないのかよ。このウスノロが」
   ウスノロ……この言葉は彼の心に深く突き刺さった。
   「なにが髪がサラサラだ? なにが手が大きいだ? なにが指が長いだ? そんな些細な自慢をしてむなしくならないのかよ? おまえがどれほど陰気で惨めったらしい人間かということを、みんなに言いふらしてやるからな。覚えておけよ」
   青年は彼の口にしたマウンティングと自慢話の数々をスマホに録音しており、同僚達に聴かせて歩いた。彼の陰気で卑劣な性質がパッと職場中に広がってしまった。
   彼は怒って職場に何も告げずに一方的に辞めてしまった。そうしてスマホに入れていた青年の顔写真(彼はこれをこっそり撮って、暇な時に見て「なんてブサイクなんだ」と笑っていたのだった)をプリントアウトして、家の壁に貼ると、思うさま殴りつけるのであった。おかげで半月で四キロも痩せることができた。
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