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沖縄戦後のフィリピン人部隊

沖縄県史の資料編に、米軍のフィリピン人部隊が沖縄人を脅迫したりレイプしたと書いてあった。米軍の部隊の中でも最も沖縄人を虐げて不興を買ったのがフィリピン人部隊であったらしい。フィリピン人部隊は沖縄の復興を大きく妨げたそうだ。自分はこの事は以前に別の県史で読んで知っていたが、どうしてフィリピン人がそんな事をするのだろうかと疑問だった。資料編にはその理由として、日本軍に侵略されて虐げられた「復讐」と書いてある。つまり日本軍に対する復讐感情がとばっちりの形で沖縄県民に向けられてしまった、というふうに、沖縄県民を弁護する形で県史には書かれてある。しかし、フィリピン人を虐待・虐殺したのは日本軍だけでない。沖縄県民(軍人ではなく一般人)もフィリピン人を積極的に虐待・虐殺し戦犯として銃殺刑になったという事実がある。だからフィリピン人部隊は日本軍への憎悪をとばっちりの形で沖縄県民に向けたというよりは、フィリピン人部隊は沖縄県民が同胞のフィリピン人に対して犯した蛮行をよく知っており、その為に明確に沖縄県民に対して復讐心を持っていて、意図的にレイプや脅迫をやって復讐を果たそうとしたのではないか、と思った。もしそうだとするならば沖縄県民の行った蛮行が戦後ブーメランのようにして自らの身に跳ね返ったということになる。しかし沖縄県民はそのような事実を広く継承しようとはしていない。自らの恥部を隠し続けている。沖縄県民のフィリピン人への蛮行を知らない沖縄の若者がフィリピン人部隊の蛮行を知れば「フィリピン人は野蛮」というふうな偏見を持つ可能性がある。沖縄の戦争体験者はフィリピンでの自らの蛮行を隠蔽するだけではなく、フィリピン人に対する偏見を生み出すという二重の罪を犯しているのである。その罪は重く、恥知らずという誹りを免れることはできないように思う。

慰霊の日に沖縄の女子中学生が朗読した平和の詩がネットで賞賛されているが、あの詩には被害者感情から来る甘ったるい感傷しか含まれておらず、加害者としての厳しい反省や謝罪の気持ちが全く存在していない。その意味で自分はあの詩は非常に軽薄でふざけた詩だと思う。あの詩は平和の大切さを訴えていたが、結局、沖縄県民だけが平和であればいいという自己中心的な平和観が目立ち鼻持ちならない感じしかしない。加害意識の不在したまま平和を確立することはできない。他国の人々を虐殺しておきながら自分たち沖縄県民だけ平和を作ろうと思っても、その平和には必ずどこかにほころびがあるだろうし、ほころびに目をつむったまま平和を創造しようとしても、いつかは完全に破綻してしまうだろう。沖縄に確固たる平和を築くにはまず何よりも他国に対する罪を謝罪して他国の平和を確立してからでないといけない。贖罪をして初めて自己の平和は創造される。だが沖縄県民はいまだに謝罪をするどころか隠蔽を続けているし、子供たちに被害のことばかり継承して甘ったるくて薄っぺらい偽物の平和意識を植え付け続けている。これでは永遠に沖縄には平和を築くことはできないだろう。多くの沖縄県民は、いや、今の沖縄は平和ではないか、と反論するだろうが、今の沖縄には平和は全く存在していない。今見えている平和は欺瞞の平和でしかない。他国の人々を虐殺し隠蔽したうえで築かれた腐敗した平和である。
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