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夏目漱石『こころ』感想

《私はすぐその帽子を取り上げた。所々に着いている赤土を爪で弾きながら先生を呼んだ。
「先生帽子が落ちました」
「ありがとう」
 身体を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。
「突然だが、君の家には財産がよっぽどあるんですか」
「あるというほどありゃしません」》


「私」が帽子を取り上げて赤土を取り除く描写は、読者に一種、非常な違和感を覚えさせる。普通の行為に見えるが普通ではない。なにか異常な関係性を暗示させる振る舞いである。
私は「先生を尊敬しているから土を取って上げた」のではない。もしそうだとしたら、主従関係になる。先生と私の関係は主従と従者ではない。そういう陳腐で経験的な関係を超越している高度な関係性である。利害と利害とで結ばれる関係性ではなく、能力と能力とで純粋に繋がる関係性である。日本ではまず見られない稀有な関係性である。
私には先生に対する利害とか、俗物的好奇心とか、大げさな尊敬とか、そういう水臭い物がない。ただただ、先生の能力だけを慕っている。私は先生の経験的な振る舞いに注目しない。先生の能力だけを慕っているから、水臭い大げさな思いやりがなくて、それで帽子から泥を取り除く描写には、「思いやり」とか「師匠のために」などの水臭さのない、端的な親切心が表現されている。
このような端的な関係性が日本には見られないから、この私の土を取り除く描写には開放的で瑞々しい感性が感じられる。
先生の私生活などへの俗な物事に心酔している場合、先生の帽子の泥を取り除く描写は、もっと水臭いものになっていただろう。
私は非常に優秀な端的な精神を持っている。

先生は、私がそのように無意識に度々見せる言動から、私を信頼に値する人間だという確証を無意識に得ている。だから、

《身体を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。
「突然だが、君の家には財産がよっぽどあるんですか」》

という、一般的には失礼だと非難されかねない態度で財産のことを訊いている。しかし先生の能力を信頼することで、先生のすべてを信頼している私は、「あるというほどありゃしません」と、こともなげに、端的に答えている。二人の会話は信頼に裏打ちされた瑞々しい、高度な、深い関係性を持っている。



ーーーーーーー



「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」
「田舎者はなぜ悪くないんですか……田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか……」


私は田舎者を「別に悪い人間というほどのものもいないようです」と規定する。先生は田舎者を「都会のものより、かえって悪い」と規定する。これはどっちの規定も当たっている。
先生は道徳的な意味で田舎者の良し悪しを規定している。そして田舎者が都会の人間より道徳的に悪いという規定は当たっている。
私の「別に悪い人間というほどのものもいないようです」という規定も当たっている、という意味は、私はこのセリフにおいて、道徳的な意味での良し悪しを問題にしていないからである。田舎者、田舎全体に対して、私はどうでもいいと思っている。私は田舎の財産や人間関係を超越している。だから、良くても悪くても構わない。「まあ、強いていうなら、別に悪い人間というほどのものもいないのだろう、まあ、田舎者だから」、という程度の意味で、私はいっている。
また、私は田舎の財産に執着していないし、田舎の利害を超越しているから、田舎者が私に悪さを働く可能性はない。財産や家を奪われても、私には平気である。田舎者がどのように策動しようとも、田舎者は田舎の中の利害の世界でしか策動できないから、田舎を超越している私を田舎に引きずり込んで悪さをしようなどということはできない。だから私にとって田舎者は「別に悪い人間というほどのものもいない」のである。
先生の立場にとっては田舎者は悪い。私の立場にとっては田舎者は別に悪くない。この二つの規定から、先生の限界が端的にわかるし、私が先生の限界を超えていくだろうということも端的にわかる。
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テーマ : 夏目漱石
ジャンル : 小説・文学

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