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夏目漱石『こころ』感想

奥さんと私は頭を使って、先生の謎(どうして先生が消極的に変化していったか)を解こうとしている。先生の変化の原因は能力の深化である。先生の能力を理解すれば先生の謎は全部解ける。しかし能力は頭を使うだけでは解けない。同じ能力を持たないと解けない。病気の苦しみを理解するには同じ病気に罹らなければならない。能力を持たないと、頭だけを使ってしまう。そうすると、先生の私生活や過去を詮索する方向へ流れていって、「先生は同性愛者だ」などと解釈してしまう。
そこで漱石は、読者が研究的な目を持たないようにと、序盤の先生と「私」との出会いの場面で、研究的な目を捨てるように促している。研究的な目を払拭し、私情を捨てて、まっさらな無の境地で、物事をありのままに認識する態度が必要である。難しいが基本中の基本なのでどうしても身に付けないといけない。



頭だけを使う方法だと、どれほど誠実でも先生は理解できない。しかし奥さんは誠実さだけで先生を深く理解している。驚くほどの誠実さを奥さんは持っていることがわかる。そして奥さんは頭も良い。奥さんの頭の良さは、学力ではなく、誠実さから発生している。頭の良さは誠実さで判断される。

「私」の先生の理解の方法は奥さんとは少し違う。私は先生ほど高度ではないが先生と同じ能力を持っていて、感覚的に理解している。

奥さんの精神を発展させた精神が「私」である。
奥さんが誠実なのは、先生を深く愛しているからである。だから奥さんのような誠実さは私でも持つことができる。まだ私は先生との付き合いが短い。だから奥さんほどは愛せない。しかし、奥さんほど深く愛する必要はない。むしろ深い愛は先生を理解する弊害になる。実際奥さんは深い愛のために先生を理解できずにいる。少しの愛があれば先生は理解できる。

先生への少しの愛と、誠実さ。これを持っていれば、「私」のように能力を持つことができる。そうして愛・誠実・能力を身につけて、それを「私」のように日々発展させていけば、いつかは必ず先生を理解できるようになる。難しい理屈や知識はいらない。純朴な心があればいい。

学者は文章力があるし、知識も深い。しかし先生への愛がないから、時代背景や漱石の人生と『こころ』を比較するような研究に陥ってしまう。学者の論文は技術的に高度で、素人には太刀打ちできないが、学者には先生への愛がない。心がない。だから論文は見かけ倒しの抜け殻のようである。漱石を深く愛した伊豆さんでも、いたずらに高度な学力や知識のせいで完全に理解できなかった。
そういう学力を持っていない庶民は有利である。先生に一致できるのは庶民だけである。誠実・愛・能力を磨いていけば、いずれは先生を超えるようになる。

というわけで、先生の精神というのは意外に単純である。アホな学者たちが難しくしているだけである。純朴な心さえあれば理解もできるし超えられる。
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テーマ : 夏目漱石
ジャンル : 小説・文学

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