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戦争学習



http://www.city.nago.okinawa.jp/7/6496.html

今日は急遽図書館に行くことになり三冊の本を読んできました。

名護市内の出稼ぎと移民の歴史を記録した『出稼ぎと移民Ⅰ』『出稼ぎと移民Ⅳ』の二冊と、個人の方の戦争の思い出やエッセイや短歌などをまとめた『折々に思う』(山城茂男)です。いずれの本にも沖縄県民の戦争加害の話などは載っていませんでした。

『出稼ぎと移民』の「Ⅰ」にはフィリピンのことが少し載っていました。フィリピンといえば前に何度かこのブログに書いたように、沖縄県民による現地人への虐待・虐殺行為が起きた国です。しかしそのような加害行為は一文字も掲載されていないのですから実に情けない話だと思います。

『折々に思う』には十・十空襲とか、皇民化教育だとか、ひもじくて山の木や草を食べたとかいった、沖縄戦の本に必ず載っているお決まりの話ばかりで「またか」と呆れてしまいました。こういうお決まりの被害体験のことばかり話して、加害の事実を話さないから、若者は戦争体験者の話に飽きて、戦争学習から遠ざかってしまうのだろうと思います。戦争体験者らは若者の怠惰のせいで戦争が風化しているかのようにいいますが、風化の責任は実は加害の事実を話さない戦争体験者自身の甘えた姿勢にこそあるのではないでしょうか。

戦争体験者が加害を隠蔽するから僕のように加害を明らかにしようとする人間は膨大な資料を読み込むという面倒な作業をしなければいけません。しかしほとんどの資料には加害の事実は描かれていないので、そのたびに肩透かしをくらったような、残念な気持ちになってしまいます。そのせいで何度も沖縄の戦争体験者らに怒りや不満を覚えました。

しかし、膨大な資料のほとんどに「加害の事実が記録されていない」ということを知ることは、「沖縄の戦争体験者が加害を隠蔽している」という事実、沖縄県民のゆがんだ精神性に迫る、ということでもあります。
一つの本に加害の事実が書かれていないということは、多くの被害者の死が隠蔽され、被害者の魂を慰霊することができず、被害者が浮かばれないという意味で非常に悲しい残念なことです。しかし同時に加害の事実が描かれていないということはそれだけ沖縄県民の精神性がゆがみ、汚れ、醜くなっていく、ということでもあり、僕らは加害の記録がないといって残念がるのではなく、そのような沖縄県民の醜さを認識する努力を行うべきです。
一冊の本に加害の事実が証言されていないということは、つまり、沖縄県民が加害を隠蔽することで、被害者の魂を今もなお残酷に蹂躙しているということを意味しているのです。記録されていないこと、証言されていないこと、要するに「被害者の死を、苦悩を、無念を抹殺し、遺族の苦悩と無念をも抹殺する」ということ、そういう地獄の悪鬼すら怖気をふるうような恐ろしい所業を沖縄県民が今もなお行っているということを、記録の空白から読み取ること。そうやって沖縄県民全体のゆがんだ精神性、ひいては日本全体のゆだんが国民精神の全貌を明らかにし、治療していくような研究をしなければいけないと思いました。骨の折れる作業で、単に戦争資料の研究だけでなく、哲学や文学などの研究も必要になってくる大仕事ですが、被害者の無念を晴らすために、また少しでも謝罪をするためにも、どうしてもこういう作業は必要になってくるのだと思います。幸い時間はあるし、頑張ってやっていこうと思います。
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