沖縄戦 台湾人と朝鮮人の被害

『沖縄縣史10 沖縄戦記録2』に台湾人と朝鮮人が米軍の攻撃の被害に遭っている証言があったので紹介します。台湾人と朝鮮人の箇所は【】でくくっています。



(116~117頁)

(台湾へ疎開するため石垣から船が発った)
   船は、第一千早丸(一心丸)、第五千早丸(友福丸)で、一八○名ほどの疎開者で、そのほとんどが老人、婦人、子どもで、その外に【台湾人、朝鮮人が乗っていました。】
   (略)
   ところがその時、飛行機がどこからともなく船をめがけて攻撃してきました。
   第五千早丸から軽機関銃が米機めがけて撃ち出されたがむなしいものでした。飛行機は爆音を轟かせ、機銃を雨の如くあびせてきました。身をかくすところもなくおびえていたら、右側のおばさんが一声叫んだままうつ伏せに死に、左の子どもがやられ、前の人が重傷を負い、うなりだしました。
   負傷して血だらけになっている者、機銃にやられて死んでころがっている老人、飛び散った人肉が体じゅうについている者、子ども達はお父さん、お母さんと泣き、さけび、老人は息子、娘、孫の名を呼び、そういう声が入りみだれていました。【台湾人が頭をやられ、顔面を血だらけにして子どもをかかえて助けを求めているし、朝鮮の婦人が腕をやられ、泣きながら助けを求めている。】一瞬の内に船内は生き地獄と化しました。


(118頁)
(人々は魚釣島に漂着、自給自足の生活を強いられる)
【朝鮮の女の方で腕をやられ、わずか皮だけで腕がぶらさがり、その腕から湯呑み茶わんいっぱいくらいのウジがでてきました。この方は泣きながら、ぶらさがっている腕を切ってくれと懇願して、どうにもならないのでカミソリで切ってやりました。】船で負傷した者は、薬品もなく、さらに食糧が欠乏していく中で衰弱し、全員が次々と倒れていきました。死体は離れた所で石をならべ、それにクバの葉を敷いて死体を寝かせ、その上からクバの葉をかぶせて石をのせ、最後に砂をかぶせて葬式を行ないました。





   無人島での生活は四十八日間の死闘であったと証言者は語っています。亡くなった人は五、六十名くらいで、一二、三○名くらいは無事に石垣島に帰ることができた、と言います。
   大半は亡くなったようです。台湾人と朝鮮人はどうなったのでしょうか? かなりの深傷を受けていたようですし、《船で負傷した者は(略)全員が次々と倒れていきました。》とあることから、亡くなった可能性が高いと思います。
   彼女らの犠牲を「米軍のせいだ」とばかり言っておくことはできないと自分は思います。朝鮮人や台湾人が沖縄に出稼ぎに来たのは(彼女らが出稼ぎ者だったのかは不明ですが)、朝鮮や台湾を経済的に締め付ける日本の植民地政策が一因にありました。だとすれば私達日本人・沖縄人は、船の上で銃撃された彼女らに対して重大な加害の責を負っている訳です。つまり彼女らを銃撃し腕を切断し最終的には死亡させた犯人は米軍であると同時に私達日本人・沖縄人一人一人なのです。私達日本人・沖縄人はこうやって間接的にもアジアの人々を殺傷したことに思いを馳せなければなりません。
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朝鮮学校の高校無償化除外は「適法」初の判決

朝鮮学校の高校無償化除外は「適法」 初の判決
朝日新聞デジタル 2017年7月19日22時59分
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20170719005340.html
2010年に始まった高校の授業料無償化から朝鮮学校を外した国の処分について、広島市東区の朝鮮学校の当時の生徒らが取り消しなどを求めた裁判の判決が19日、広島地裁であった。小西洋裁判長は「朝鮮学校が高校無償化法の要件に該当しないことを理由とした処分で、適法だ」として、訴えを却下した。原告側は控訴する方針。
 在日朝鮮・韓国籍の生徒らが通い、学校教育法上の各種学校に位置づけられている朝鮮学校の無償化をめぐる裁判は東京、大阪など計5裁判所で起こされ、判決は初めて。訴えたのは、学校法人「広島朝鮮学園」と、同学園が運営する広島朝鮮高級学校の10年当時の生徒ら計109人。約5100万円の国家賠償も求めていたが、判決はこれも棄却した。
判決は、広島朝鮮学園が法令に基づき学校が運営されているかといった無償化の要件を備えているかどうかを検討する上で、朝鮮総連との関係に着目。過去の報道などを踏まえると、総連による強力な指導が見直されたとはみえないと指摘し、無償化に伴って学園に支給される支援金が適正に使われるかに懸念を示した。高校無償化法の趣旨に沿って対象から外した文部科学相の判断に、裁量権の逸脱は認められないと判断した。
原告側は国は朝鮮学校を無償化の対象とする省令の規定をあえて削除しており、差別的な取り扱いで憲法の平等権に反すると主張したが、判決は退けた。その上で、今回の処分は学園が高校無償化の要件に該当しないことが理由で、民族を理由としたわけではなく、合理的な区別にあたると結論づけた。


ーーーーーー


話題にならない事件だが日本の歴史に残るほどの大きな事件(勿論日本の「汚点」としての事件)ではないか。
東京から朝鮮学校を一掃したいとツイートする小池百合子が都議選で圧勝してしまったし。
日々大変なことが起こりつつある。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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樋口一葉『十三夜』

(ちょっと前に書いた『十三夜』の感想です)

『十三夜』ではお関の夫が槍玉に上げられ非難され、夫が心変わりした原因についての憶測が会話されている。「子供が産まれたからお関に飽きた」「お関が大人しいから増長した」等々。しかしこれは不生産的な愚痴である。「心変わりの原因」なんて無限に考え付くし、答えは見つけようがない。不毛な会話である。道徳的批判意識はこのような瑣末な批判を延々に展開し精神を恨みつらみで圧し殺してしまう。道徳的に批判するのではなく、もっと俯瞰的な視点から夫を見つめるべきだろう。…夫のような金持ちの世界では、金に相応した人間関係(女性関係)がひしめき、ありとあらゆる享楽が渦巻いている。どのように誠実な人間でもその力には抗えない。バルザックは『幻滅』で素朴な田舎の青年が上流階級の享楽に呑まれ破滅する過程を描写した。夫が享楽に溺れるのは「仕方ない」のである。たしかにお関の夫は道徳的にはケシカランけれど、ケシカランケシカランと言っていても始まらない。道徳で夫の性格を批判するのではなく、道徳的範疇を超えた俯瞰的な思考で夫の性格を社会的に位置付け、社会的に認識するしかない。
お関の家庭は貧乏だから、貧乏に相応した温かで濃密な人情があって、そこに感動するけれども、その替わり貧乏の世界には先述したようにせせこましい道徳的な「ケシカラン精神」が根付いている。何事も人情的、道徳的な思考で眺め、「ケシカラン」と思考してしまう。
お関の夫のような上流階級では金が人を冷淡にし、お関の実家のような貧乏の世界では人情や道徳が人の認識を押し留め人を冷淡にする。
正しい唯一の行動は、夫への道徳的批判を捨てて、夫を社会認識的な観点から「仕方ない」と諦めて、夫に仕えながらも夫を超える精神を単独で自力で培うことである。それをお関はやろうと決意している。その決意が感動的なのは、決意が自己犠牲的だからではない。道徳的批判意識から社会認識に移行する精神のレベルの高さが感動的なのである。
他方、お関の父親は「仕方ない」として、お関に帰ることを勧めるが、道徳的批判意識を維持したままである。社会認識に移行する可能性はない。この場合の「仕方ない」は、人情的な感情に基づいた、素朴な感情としての「仕方ない」である。お関の社会認識的な「仕方ない」ではない。父親の「仕方ない」には夫への恨みが込められており、恨みつつも悔しいが仕方ない、という意味であり、お関の「仕方ない」は、夫の増長や放蕩は社会的に見て仕方ない、だから恨みを捨てて、自分の人生を生きよう、我が子への愛に生きよう、そういう意味の込められた「仕方ない」である。
お関の父親はこれ以上ないというほど誠実で善良で愛も深い。お関に実家に留まらず夫の元に帰れと言うあたりからも、冷静さや頭の良さが感じられる。しかしそれが直ちに社会認識への移行に作用するという訳ではない。
人情の壁、道徳的批判意識の壁は厚く硬い。これを超えるのは容易ではない。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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カント『純粋理性批判』先験的感性論 7・8 メモ

カント『純粋理性批判』


先験的感性論 7

時間はわれわれの内的直観の形式にほかならないのである。もしわれわれが、時間からわれわれの感性の特殊な条件という点を除き去るとすれば、時間という概念もまた消滅する。それで時間は対象そのものに属するものではなく、単に対象を直観する主観にのみ属するのである。

   8

   われわれのいおうと欲したのは次のことである。すべてわれわれの直観は現象についての表象にほかならないこと。われわれの直観する物は、それ自身としては、われわれがそれを直観する通りのものでもなければ、それらの物の諸関係もそれ自身としては、それらがわれわれに現象する通りの性状をなすものではないこと。また、もしわれわれがわれわれの主観を、或いは感官一般の主観的性状をだけでも除去するとすれば、空間と時間とにおける客観の一切の性状、一切の関係は、否、空間と時間とさえも、消滅してしまうであろうし、それらは現象にほかならないからそれ自身としては存在しえず、単にわれわれのうちにおいてのみ存在しうるにすぎないということ、である。… にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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動画・重慶爆撃は何を招いたか

戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか
http://www.dailymotion.com/video/x5nax8v

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貧困な精神

『村の鍛治屋』という深夜のドキュメンタリー番組を見た。鍛治職人の精神の内奥に興味があったのだ。しかし番組は「鍛治職人がまだ若いのにボランティアをしています」とか「奥さんとお子さんのために頑張っています」などと、職人の精神ではなく職人のどうでもいい私生活にスポットを当てていた。最近のドキュメンタリーはこういうのが多い。『島の外科医』とかいうドキュメンタリーを見た時も医者の精神や技術力を掘り下げるのではなく、医者と患者のほのぼのあったかヒューマンドラマに仕立て上げていた。『村』『島』『森』『丘』『辺境』などの田舎を示唆するタイトルが付くと、十中八九、村人とのお涙ちょうだいヒューマンドラマになっている。かといって都会を舞台にした物にしても『下町人情弁護士』とか『夜回りおばちゃん奮闘記』とか、どうしてもヒューマンドラマになってしまう。日本人は深い内容を考察するのではなく甘い情緒を味わおうとする。そういえば日本のドラマはだいたい情緒的で頭を使う余地に乏しい。情緒以外では、エロとかグロとか萌えとか壁ドンとか顎クイとか、内容が作れないから内容とは無関係な表面的な小細工に走ってしまう。大河ドラマ『花燃ゆ』ではイケメンをフンドシ姿にして話題になっていた。そんなものが話題になるのだからもう日本の精神内容は絶望的・壊滅的だろう。日本のエンタメや芸術は大した内容が無いと諦めて西洋の文学や哲学を渉猟しようと思っている。自分もブログで中身のない愚痴を言うのをやめて内容を創り出すように努力しようと思う。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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ショートショート『哲理の犬』

   『哲理の犬』

   海浜公園のベンチの上に、上品で立派そうだけど、表情はくたびれ果てた年寄りの哲学者が座っていました。
   「哲理はどこにあるんだろう」
   水平線を見つめつつ、細い白い指で知恵の輪をいじくりいじくり、そんなことをつぶやいています。
   犬が視界に入りました。飼い主の投げるフリスビーを追い掛けて、空中でキャッチすると、しっぽを振りながらエサを貰っていました。哲学者は涙ぐみました。
   知恵の輪が外れました。哲学者はそれをまたはめて、またカチャカチャと虚しく手の中で弄びます。錆びて、手垢にまみれた、もう何十年も退屈しのぎに使っている知恵の輪なのです。
   猫が彼の前を通りました。「おいで」という哲学者の声に見向きもしません。彼は食べかけのお菓子をだして、「おいで、おいで」と言いました。猫はお菓子だけ素早くかすめ取ると、頭を撫でようとした哲学者の手を引っ掻いて逃げていきました。
   「これだ」彼は全身に衝撃を感じました。「これが哲理だ。自由で、気ままで、わがままで、ひたすら楽に生きる…ようやく悟ったぞ。私は全てを捨ててこの公園で猫たちと暮らそう」
   彼は知恵の輪をゴミ箱に捨てると、猫たちの所へ寄っていきました。猫たちは、胡散臭そうに彼をみつめると、さっと散って、遠くから彼を警戒しています。
   彼ははっとしました。猫のように自由に暮らすには、あまりにもいろいろな物に縛られすぎて、どうしようもなくなっていることに気づいたのです。
   彼は戻りました。だけどゴミ箱の中身はもう掃除の人が捨てたらしく、知恵の輪がありませんでした。
   哲学者は柵を越えると、躊躇することなく飛び降りました。穏やかな海の中に消えてそのまま見えなくなりました。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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思考の無駄遣い

豊田真由子議員と元秘書に矢沢永吉ならではの視点「気持ちの悪い社会」
http://news.livedoor.com/article/detail/13303758/

《大の男がこっそりテープ回しながら弱々しいことだけ言って、怒りまくっている女性の声をしっかり隠しどりしているんでしょ》
《顔を出して堂々と告発するべきだったんじゃないかな。こういう風潮が広がっていることの方が心配だね》

   矢沢永吉は秘書を「弱々しい」「女々しい」「卑怯」「男らしくない」というふうに規定しているようだ。しかしこの音声だけで秘書の性格を規定するには無理がある。普段は人並みに堂々とした性格だが乱暴な豊田議員が怖いから彼女の前でだけ弱々しくなっていたのかもしれない。もしかするとPTSDのような深刻な症状を抱えていたのかもしれない。…しかしそれは全部間違いで、矢沢の言うように本当に「弱々しい」「女々しい」「卑怯」な性格なのかもしれない。解釈は無限にできる。しかし真実は誰も知らない。だから矢沢の秘書に対する規定は根拠のない推測に過ぎない。
   《こういう風潮が広がっていることの方が心配だね》…「男らしくない女々しい卑怯な風潮」を嘆いているのだろうが、先述したように秘書が本当に男らしくなくて女々しくて卑怯なのかは誰にも分からないのだから《こういう風潮が広がっている》という矢沢の現実認識は推測の域を出ない。それに矢沢は1億人以上いる日本人の中から秘書一人だけをやり玉に挙げて、あたかも秘書の性格が日本全体の表徴であるかのように語っているが、それには無理があるだろう。日本には羽生結弦や錦織圭のような立派な人間もたくさんいるから羽生や錦織をやり玉に挙げて「男らしい溌剌とした風潮が広がっているね」と言うこともできる。矢沢の論法は物事の一面だけを切り取って全くの推測で全体を判断するといういい加減な放言である。思考は対象の性格・形が明確な時にだけ具体的になる。「秘書の性格」という誰もが知らない対象を基に思考すると思考は散漫になる。思考の無駄遣いは時には楽しいだろうがやり過ぎると思考がブレて正常に機能しなくなる。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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警察官の破廉恥セクハラ身体捜索

以下は『気にいらぬ奴は逮捕しろ!』という本から抜粋した文章。
ついっとぼっとに登録するために抜粋したのですが、ブログでも紹介します。
ちなみに自分のツイッター(ボット)はこれ →密室の事件録bot




1989年6月20日。私は、この日、夫(1984年に起きた自民党本部放火事件でデッチ上げ逮捕、…アリバイも立証され、無実を訴えている)の裁判を傍聴しようと、12時半に職場を退勤、更衣室で着がえを済ませ、勤務先を出ようとしていました。その時突然三人の男にとり囲まれました。

私は、たびたび行われている経験から、「また身体捜索か」と思い、「きょうは、夫の裁判があります(略)明日にして下さい」と言いました。すると、三人の内の一人が「そうはいかない」と言い、他の二人が私の両側から腕を抱えて無理やり連れていこうとしました。


「捜索なら、更衣室に戻ってそこでした下さい」「捜索令状を見せて下さい」と言いました。警察官は「そういうことを言わないでついてこい」と言い、そのまっま二人の男が私の両腕を掴み、もう一人の男が背中を押して、私の体を引きずるように(略)ワゴン車のところまで連れて行きました。

ワゴン車の所に来ると三人の男と一人の女がいました。女はワゴン車の中に居ました。そして最初の三人と六人がかりで私をワゴン車に押し込もうとしました。(略)「令状を見せて下さい」と言いました。(略)一人がしぶしぶという感じで何か書面のようなものを取り出し、私の目の前に差し出しました

この男が津田辰興という名前であることは(略)知っていました。(略)津田は書面みたいなものをチラチラさせ読めないようにしました。ニヤニヤ笑いながら、本当に腹が立ちます。内容をメモしなくちゃ。とカバンからボールペンとメモ用紙を取り出すとそばの男がいきなりボールペンを取り上げた

私は「何をするんですか、返して」と抗議。男はニヤニヤしてボールペンを返しました。しかし津田は書面をチラつかせるのをやめません。私は左手を伸ばして固定しようとしました。するとさっきのボールペンを取り上げた男が、私の左腕を思いっきりなぐりつけ「令状を破くと逮捕するぞ」と怒鳴った

六人がかりでワゴン車に押しこみました。結局、最後まで書面らしきものの内容は確認できませんでした。…カーテンはありましたが開けっ放しになっていました。…「カーテンを閉めて」と言いました。それでやっとカーテンは閉められました。しかし、カーテンと言っても、隙間だらけ。

四方八方から路上の通行人から中が覗けるし、男も外から簡単に中が覗けます。…「せめて男は車の外に出ていって」と言いました。すると、男は、「お前らには何をやってもいいんだ」と言い、あまつさえ、「これからストリップが見られるぞ」というのです。本当に腹わたが煮えくり返るようでした

男は六人全員が車内に居続けました。女が、「全部脱いで」と言い、私は一枚、一枚衣服を脱がされました。脱いだ衣服一枚一枚を布切れの下から男に渡し、それを男が念入りに調べて、再び布切れの下から返すのです。

パンツ一枚になったとき、躊躇していると、女は「パンツも」と言い、それも脱がされました。女は、私を全裸にした後、「屈伸運動して」と言いました。私はそういうことは始めてでしたので、立ったままでいると、「早くして」と言い私に屈伸運動をさせました。一回して立ち上がると、「三回して」

と言い、三回屈伸させられました。今度は意図的に男の刑事のいる方を向かせ、その姿勢で、私の肛門や膣内まで見たのです。私は悔しさ、恥かしめを受けることへの怒りで、体が震えました。動かないでいると、男の刑事が布切れごしに、「ぐずぐずすると逮捕するぞ」と私を脅かすのです。

身体捜索の間中、男たちが聞くに耐えないような卑わいな言葉を話し続けました。…約一時間、身体捜索は行われ、私は怒りがとまらないまま、夫の裁判公判にかけつけましたが、すでに午後三時すぎで、夫の無実の主張の大事な部分は傍聴できませんでした。警察権力が「捜査」の名目を使って行う性暴力

本当に怒りで胸が張り裂けそうでした。悔しい思いで怒りがおさまりませんでした。こんなことを二度とくり返させるわけにはいきません。(その後女性は警視庁愛宕署を告訴、日弁連への人権救済申し立てを行った。同じ怒りを共有する女性達と共に「愛宕署抗議デモ」を1989年11月10日に行う)

日比谷公園に集まった元気のいい女たち四十人。仮面にゼッケン、ドレス姿。「警察の性暴力を許さない」「愛宕署は謝れ」とシュプレヒコール。道行く人々は何ごとかと興味津々。当の愛宕署の前だけはゼッタイデモは通さないという警視庁のデモ妨害にもメゲず解散後、大挙して愛宕署へ押しかけた。

愛宕署はビックリ。待機していた警察官三十人ほどがあわてて入口に縄をはって、中に入れないようにする始末。「自分たちの犯罪に警察署の建物にお縄をかけた!」と私たちは大笑い。通行人といっしょになって抗議してやりました。

第二段は12月25日クリスマス。前回のデモをひとひねりして、愛宕から日比谷に向かう逆コースをデモ。デモ前に警察署に押しかけられると困るとばかり「縄」をはっていた愛宕署も、無事デモが解散したのでホッとしたのも束の間、縄もはずされ無防備の愛宕署に、またまた怒りの女たちが登場。

スイスイと中に入り、受付で「署長に会いたい」「市民の声を聞きたいって書いてあるわョネ」などと口々に言う女性たちに、愛宕警察は腰をぬかすほど驚いたのでした。歳末気分で上着も脱いでイスの背にひっかけて執務のペンをとっていた連中は、顔を見合わせ、上着をあわてて着こんで

どこへやら連絡の電話ももどかしげ。「なんだなんだデモは終ったはずだのに、また来やがって!」と苛立たしそうに階上から降りてきた連中と私たちがすったもんだの挙句に、彼らが部隊を揃え、大型スピーカーを三脚に乗せ、やっと体制が整ったころには、私たちはサーッと引き上げたのでした。

あとには、ポカンと口をあけたままの警官と私服の山。「やったぞ! サイコーのクリスマス!」と私たちは口々に路上で大きな拍手をしてわかれたのでした。(社会評論社『気にいらぬ奴は逮捕しろ!』より) にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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ヘーゲル『小論理学』序論 七節

エンチクロペディーへの序論 七節

ヘーゲルは哲学を以下のように説明している。


《一見無秩序ともみえる無数の偶然事のうちにある必然的なものや法則の認識に従事し…》


ヘーゲルは経験的世界に哲学的内容を求めている。つまり、経験的世界の無秩序な偶然事の中に真実が含まれており、これを思惟によって加工し認識し、真実を取り出す。…無論この方法は間違いで、哲学とは経験的世界ではなく客観的世界の全体を対象とする。


《経験の原則は、限りなく重要な規定をふくんでいる。それは、人が或る内容を受け入れ信じるには自分自身がそれに接していなければならないということであり(略)そのような内容が自分のたしかめたことと一致し結合するのを見出すということである。》


これは経験的世界における経験的意識の経験論であって、確かに経験論的にはそうであるのだが、哲学・論理学においてはあまり意味のない議論であるように思う。哲学の叙述からは一切の経験論的な話題を取り除かなければならない。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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ブログタイトルは夏目漱石の「黙々として牛の如くせよ」から。

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