テレビ『ひめゆりからHIMEYURIへ』

   琉球放送(RBC)の『ひめゆりからHIMEYURIへ』(再放送)を見た。
   年齢的にも体力的にも限界を迎えた元ひめゆり学徒隊。彼女らは引退を決意する。そして自分たちの替わりに体験を語り継いでくれる語り部の後継者を育成する。若い後継者たちはドイツに行き、ドイツでアンネ・フランクがどのように語り継がれているかを学び、ひめゆりを語り継ぐヒントにしようとする。…という内容のドキュメンタリーだった。
   自分としては疑問の連続だった。まず、沖縄戦を「被害」として描いている事に疑問を覚えた。沖縄戦というのは沖縄の人々が日本の侵略戦争と同化してアジアに「加害」を振りまいた結果として起こった「報い」「因果応報」「自業自得」なのである。沖縄戦から「加害」の要素を取り除いて「被害」だけを語るのは無理があるし、そのような「被害」の観点からのみ語る沖縄戦の証言は偽善でしかない。
   次に疑問だったのは、ひめゆりの加害に触れない事だった。ひめゆりは日本兵を癒す事で日本兵の「加害」に加担した(例えばひめゆりが治癒した日本兵が再び前線に赴いて米兵や朝鮮人軍夫や「慰安婦」を殺傷した可能性も否定できない。その場合ひめゆりは間接的な「加害者」という事になり罪は重いと言わざるを得ない。いやいや動員されて、いやいや看護活動を強制させられた学徒もいたようだが、いやいやだとしても加害は加害である。ひめゆりは自己の加害者としての立ち位置をもっと深刻に意識すべきではないか)。ひめゆりの加害性を棚に上げたうえで語られる被害の体験は上滑りしており軽薄そのもので何ら琴線に触れるものがなかった。まずは加害性を明らかにし反省し謝罪する作業が必要であると思う。
   最大の疑問は、加害者であるひめゆりと被害者であるアンネ・フランクを同列に置いていた事だった。ひめゆりは言ってみればアンネ・フランクを迫害したナチスの側の人間である。ファシズムの協力者である。『ひめゆりたちの祈り』(香川京子)によると元学徒隊の中には未だに日本兵を美化したり天皇を崇拝したりする人間が居るらしい。ひめゆりをアンネ・フランクと同一視する事は、ナチスのファシズムを美化するナチスの看護兵の生き残りをアンネ・フランクと同一視して、どちらも被害者、どちらも可哀想、と言うのと同じ行為ではないか。このようなひねくれた反戦意識によって本当の平和が創造できるとは自分には思えない。
   「ひめゆりたちは青春を謳歌していた。しかし戦争の犠牲になった」とナレーションは言っていたが、朝鮮人軍夫も「慰安婦」も米兵も皆一様にひめゆりと同じように青春を謳歌しており、その青春を日本兵やひめゆりによって踏みにじられたのであった。被害者である彼ら・彼女らの青春を踏みにじった加害者であるひめゆりが、自分たちの青春を踏みにじられた事を堂々と主張する神経には呆れてしまう。何度も言うようだがまずは自分たちの加害性を総括する作業をしてから自分たちの被害を訴えるべきで今は時期尚早だろう。
   最後に番組は「再び戦争の足音が聞こえる」と言っていたが、再びファシズムが息を吹き返してきたのは、ひめゆりのような加害者(「戦争の足音」の「足音」を立てている者たちは元学徒隊自身だろう)たちが自己の内なる加害性やファシズムを反省しなかったから、ファシズムに対する本質的な批判ができず、その結果としてファシズムを野放しにしファシズムを増長させてきたからである。自分たちの努力不足を棚に上げて「戦争の足音が聞こえる。心配だ」というのは無責任というほかないだろう。それにそんなにファシズムが心配ならば今すぐファシズムの象徴たる天皇の崇拝をやめたらどうか。
   侵略戦争の事実を否定するファシズムの動きは1950年代からすでにあったが、その時代から今に至るまで60数年もの間ひめゆりは何をしていたのだろうか。きちんとファシズムを批判してきたのだろうか。ファシズムの批判よりも自分たちの被害の継承にばかり頭が行っていたのではなかったか。「戦争を語り継げ」と若者を叱咤激励するよりも、まずは若者に頭を下げてファシズムの負の遺産を残した事を詫びるのが先ではないか。ファシズムという杖で若者を叩きながら「また戦争が来る。しっかり立ち向かいなさいよ」というのは矛盾しているし若者に失礼ではないか。ひめゆりは自己がファシストという事実を自覚し、自己のファシスト性でアジアの人々や沖縄の若者たちの人生を傷付けている事を認識し、ファシズムを克服しなければいけない。そういう初歩的な作業は40年代~50年代のうちにとっくに終わらせておくべきだったのだ。自己の精神の愚鈍と稚拙を思い知るべきだ。

スポンサーサイト
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

純粋理性批判メモ

《われわれの認識において直観に属するものはすべて、(したがって全然認識ではないところの快、不快の感情や、意志は除外する)、直観における場所(拡り)や、場所の変化(運動)や、この変化がそれによって規定される(動力)法則やの単なる諸関係を含むものにすぎないということである。これに反し、場所に現在しているもの、或いは場所の変化以外のものとして物自身のうちに働いているものは、直観によって与えられることはできないのである。ところで、単なる関係によってはやはり事物自体は認識されない。したがって、外部感官によってはわれわれに単なる関係表象以外のものは与えられないから、外部感官はまた単に主観と対象との関係を自己の表象中に含むにすぎず、客観自体に属する内的なものを含むものではないことは、十分判定することができる。》

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

「虐殺の史実を伝えて」都知事追悼文中止、作家ら抗議声明

「虐殺の史実を伝えて」 都知事追悼文中止、作家ら抗議声明
東京新聞 2017年9月16日 朝刊

 東京都の小池百合子知事が関東大震災の朝鮮人虐殺犠牲者追悼式に追悼文送付を中止した決定に対し、作家や歌手、研究者ら二十一人が十五日、抗議声明を発表した。「史実を隠ぺいし歪曲(わいきょく)しようとする動きにお墨付きを与えてしまうのではないか」と訴えた。
 声明の賛同人には作家の平野啓一郎さんや島田雅彦さん、朝鮮人虐殺を題材にした歌を自作したフォーク歌手の中川五郎さんらが名を連ねている。
 声明は「民族差別が暴力として爆発した九十四年前の朝鮮人虐殺は、多民族都市・東京のいわば負の原点」と指摘。「東京の多様性をさらに豊かさへと育てていくためには、民族をはじめとする差別が特定のマイノリティー集団に向けられる現実を克服していく必要がある」と主張した。
 さらに、小池氏に対して「不当に生命を奪われた隣人たちを悼み、それを繰り返さないという思いを手放さないでください。未来の世代に教訓として伝えていくべきだと、声を届けてください」と要望した。
 歴代都知事は、市民団体が毎年九月一日に都立公園で営む追悼式に追悼文を出してきたが、小池氏は今年の送付を断った。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091602000131.html

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

『純粋理性批判』メモ

物自体、つまり物の本質の認識は不可能であり、カントはその困難を語っている。たとえば雨を認識するとする。雨の本質の認識のために、雨を一粒一粒の雨滴に分けてその一粒だけを対象とする。しかし、その丸い形、落下する空間、等々、様々に観察してみても、それら雨滴の表象が雨滴の本質とどのように関係しているのかは誰にも分からない問題であるし考えるのは徒労である。表象というものは《われわれの感性的直観の単なる変容、或いは基礎にほかならない》。対象をどのように観察しようとも先験的直観(物自体)は依然として未知である。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

反レイシズム情報センター

リンクを追加しました。

反レイシズム情報センター
http://antiracism-info.com/


にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

石堂清倫『20世紀の意味』感想

   石堂清倫氏の『20世紀の意味』をようやく読み終えた。
   
   これを読んで感じたのは、軍も国民も共産党も、それぞれてんでんばらばらの方角を向いて、見当外れの闘いをしていた、という事だった。誰も彼もが「戦争」という現実を正しく把捉できていなかった。「戦争」を精神主義で歪曲していた。

   たぶん庶民は軍への応援自体を楽しんでおり軍への深い愛はなかっただろうと思う。庶民にとって戦争は日々の辛い生活を紛らわすためのゲームに過ぎなかったのではないか、と思う。本気で勝つという気概はなくて、ファシズムというゲームをプレイしていた。本気で勝ちたいという軍の方向性と、戦争の雰囲気を軽薄に楽しみたいという庶民の方向性はだいぶズレており紐帯は意外に薄かった。

   ゲーム感覚で浮かれて応援している所へ、突然軍がやって来て強制疎開を促されたり、土地や建材や食糧を取られたりして、初めて戦争のリアルに直面して狼狽したのではないかと思う。上辺だけの協力はやってもいいが自分の財産を投げ打ってまでの協力はゴメンだ、というのが庶民の本音だったのではないか。ファシストに愛という感情はない。だから、ファシストの日本の庶民に軍への愛はなかっただろう。軍に対する応援は軍のためではなく「けしからん中国人を殺せ!」という自己の冷酷な嗜虐精神を満たすための応援だったのだろう。そしていざ軍が自分たちに牙を向けばたちまち軍への応援は憎悪に転化する。ファシストの団結とか協力というのはその程度のものである。相互に愛がないから信頼関係がすぐに壊れる。

   戦後庶民は自己の被害を具体的に分析する事をしなかった。「土地を取られた、くそう」「牛を徴用された。今考えても惜しい」「肉親をなくした。悲しい」…体験談を読むとそういう(「くそう」「惜しい」「悲しい」といった)感性的な感想が多く、何故私達は被害を受けたか? 何故軍や財閥を止めれなかったか? などの具体的な分析に欠けている。

   戦争体験が感性から思考に移行しないから軍への批判意識が薄く、国を訴える事もしないし、戦争責任も自覚できない。感性による反戦主義は戦争を感傷的に回顧する愛国主義と表裏一体である(実際沖縄には被害を訴えながら加害を美化する戦争体験者が多い)。戦時も戦後も一貫して真剣な精神がない。

   軍は現実の戦争ではなく精神主義を通して見た架空の戦争を戦っていた。また権威主義や様々な利害や保身や瑣末な人間関係が戦争を大きく歪めた。インパール作戦のような無謀な戦争はまさに現実から著しく逸脱した架空の戦争である。日本の戦争は御伽の国の戦争というべきだろう。戦争をやるには精神が稚拙過ぎた。

   共産党は庶民に目を向けるのではなく自己の権威の護持や組織の延命にのみ腐心していた印象がある。戦後も暴力革命による権力転覆を夢想していたそうだ。共産党もまた架空の闘いを闘っていたのだ。暴力革命をやるには相当の団結が必要で団結には党の党員に対する無常の愛や信頼が必要となるが、党は盗聴器などで裏切り者を探ったり批判する物をパージしたと言う。共産党は架空の戦争すらまともに戦えないのであった。せいぜい腹腹時計を配布したり、小さな暴力沙汰を引き起こすのが関の山だったらしい。

   同床異夢で軍も庶民も共産党も全員が自分の夢だけを見ており、協力するという事をしなかった。戦争の敗因は色々あるだろうが案外「自己中心主義」という単純なものだったのかもしれない。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

純粋理性批判メモ

カント『純粋理性批判』メモ

   空間と時間という制約の下でのみ人間は対象を直観する事しかできない。それは直観の仕方、つまり自身の感性を認識するにすぎず、どれほど感性を研ぎ済まそうとも対象の認識には全く到達できない。
   カントは対象(現象、物)の認識の限界を説いている。しかし人間の感性に決定的な限界があるからと言って人間の精神を「対象に届かない未熟な物」とするのは誤りである。人間の精神には感性以外にも悟性がある。悟性には精緻な思弁があるし、実際の行為に有用な美徳もある。それは例えば「法」の精神という思弁であり、また法は道徳という行為の美徳を引き上げる。感性には限界があるが人間の精神には悟性がある限り限界はない。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

独房に監禁、医療受けさせず死亡、腐った給食―難民虐待の東京入国管理局

独房に監禁、医療受けさせず死亡、腐った給食―難民虐待の東京入国管理局
志葉玲  | フリージャーナリスト 9月13日

 戦争や人権侵害から必死の思いで逃れ、日本にたどり着いた難民たち。彼らを受け入れる難民条約を批准しているにもかかわらず、日本は先進国中、最悪の「難民鎖国」だ。トランプ政権ですら今年度5万人の難民を受け入れ予定であるのに対し、ここ数年、日本が受け入れる難民は、年間で十数人程度にとどまり、過去最多1万人以上の申請があった昨年もたったの28人のみ。そして、難民不認定の烙印を押された人々は、日本から出て行くように言い渡され、入国管理局の収容施設に拘束されたり、時には迫害が待つ母国に強制送還される場合もある。
 今月4日、在日の難民やその支援者らが法務省・東京入国管理局(港区)の前でデモを行い、入管に収容されている難民の仮放免を訴えた。独房に数か月にわたって閉じ込めたり、命にもかかわる持病を持つ者を十分なケアもなく拘束しているのだという。
(以下全文)
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20170913-00075687/

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

「集団自決」のチビチリガマ荒らされる 沖縄戦の遺品など破壊






「集団自決」のチビチリガマ荒らされる 沖縄戦の遺品など破壊
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/141218

 72年前の沖縄戦で、「集団自決(強制集団死)」が起き、85人が犠牲になった読谷村波平のチビチリガマで、入り口や内部の遺品が壊されるなど何者かによって荒らされていることが12日、分かった。遺族からの証言聞き取りや平和学習などを続ける知花昌一さんが同日午前11時ごろ、荒らされているのを確認した。

 ガマの入り口の看板は近くのせせらぎを超えて十数メートル先に投げ捨てられ、平和学習で訪れた中高校生による千羽鶴は半分ほどが地面に放り出されていた。

 ガマの中には遺骨や石油、水を入れたビンなど遺品が残る。ビンの多くが割られ、入れ歯や小銭を載せていた陶器も割られ、周囲に飛び散っていた。また、惨劇を詠んだ彫刻家金城実さんの歌碑が書かれた看板も引き抜かれていた。

 遺族会によると、直近では5日に平和学習で訪問者がいた際は被害は確認できなかった。引き抜かれた看板にまだ青い葉がついていたことから、犯行から時間がかかっていないとみられる。嘉手納署が12日午後、現場を封鎖して調べている。

 母方の祖母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長62は「平和を願う遺族の気持ちに泥をかぶせられた。本当に残念だ。中には遺骨も残っており、その場所まで手をかけられている。なぜこんなことをしたのか、心境は分からないがひどすぎる」と嘆いた。






以下は新報の記事



チビチリガマが破壊 内部荒らされる 遺骨や遺物、折り鶴も 遺族「ひどすぎる」
2017年9月12日 13:49
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-573674.html
 【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平のチビチリガマが、12日午前までに荒らされていたことが分かった。チビチリガマの証言収集などに長年携わっている知花昌一さんが同日午前11時ごろに知人のジャーナリストを案内した時に発見した。ガマ内部の遺骨が集められている部分も荒らされていた。遺族会によると、旧盆の5日までは荒らされていなかったという。

 ガマに残されていた遺物のびんやつぼ、急須などの遺物も割られていた。折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒されていた。

 遺族会の与那覇徳雄会長は「何のために。動機が分からない」と唇を震わせた。「今回は骨にも手を掛けられている。以前にもあったが今回はひどすぎる」と憤った。

 発見した知花さんは、内部の様子を見て「入れ歯も集められていた場所から散らばっている。(遺物の)びんやつぼ、包丁もねじ曲げられている」と説明した。

 彫刻を作った金城実さんは「誰がこんなことを。許しちゃいけない」とつぶやいた。

 チビチリガマでは、1987年11月にも平和の像が破壊され、遺族らによって像が再建された。【琉球新報電子版】





以下は新報の続報


チビチリガマが破壊 内部荒らされる 遺骨や遺物、折り鶴も 遺族「ひどすぎる」
2017年9月12日 17:45
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-573674.html
 【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平のチビチリガマが、12日午前までに荒らされていたことが分かった。チビチリガマの証言収集などに長年携わっている知花昌一さんが同日午前11時ごろに知人のジャーナリストを案内した時に発見した。ガマ内部の遺骨が集められている部分も荒らされていた。遺族会によると、旧盆の5日までは荒らされていなかったという。
 ガマに残されていた遺物のびんやつぼ、急須などの遺物も割られていた。折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒されていた。
 遺族会の与那覇徳雄会長は「何のために。動機が分からない」と唇を震わせた。「今回は骨にも手を掛けられている。以前にもあったが今回はひどすぎる」と憤った。
 発見した知花さんは、内部の様子を見て「入れ歯も集められていた場所から散らばっている。(遺物の)びんやつぼ、包丁もねじ曲げられている」と説明した。
 彫刻を作った金城実さんは「誰がこんなことを。許しちゃいけない」とつぶやいた。
 チビチリガマでは、1987年11月にも平和の像が破壊され、遺族らによって像が再建された。【琉球新報電子版】





三上智恵のFBより


にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村

犠牲者は再度「殺された」

関東大震災の朝鮮人虐殺から94年目の2017年、犠牲者は再度「殺された」
http://www.targma.jp/yasuda/2017/09/10/post1095/

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村
プロフィール
ブログタイトルは夏目漱石の「黙々として牛の如くせよ」から。

野間

Author:野間

最新記事
カテゴリ
リンク
FC2カウンター
オンラインカウンター
現在の閲覧者数:
Amazon.co.jpアソシエイト
フリーエリア
読書記録
野間の今読んでる本
管理人の電子書籍
お小遣い稼ぎ
日めくり・ねこ時計
ネコ図鑑
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる